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装丁仕事

110124

「羊に名前をつけてしまった少年」


樋口かおり
ブロンズ新社

 
1年ほど前、窓越しに夏の強い日差しが差し込む私の会社の打ち合わせ室に、普段だったら顔を合わせるはずのない人たちが座っていた。農業高校の校長先生、同じ学校の若い女の国語の先生、出版社の編集長、そして私という面子だった。校長先生と女性の先生は昼過ぎに、飛行機で東京へ着いたばかりだった。2人は北海道の北端の遠別という小さな町にある道立遠別農業高校に勤務していた。遠別は風が強くて冬には猛吹雪になり、夏は短く、人口は三千人足らずのどこにでもあるようなふつうの過疎の町である。私はその町のことをよく知っていた。遠別は私が一八歳まで過ごした生まれ故郷だったからだ。そんな町での子どもの頃の記憶を、七年前に「遠別少年」というタイトルで本にした。町長の紹介と遠別出身で、装丁家で、本も出しているという縁を頼って、ふたりは私の前に座っていたのだった。

名刺の交換が終わると校長先生が口を開いた。
地方の過疎化の話だった。過疎化の波は高校にまで及んでいて、地元に残る子どもの数は減る一方で、近隣の農業高校などはすでに何校もが廃校になった。そんな中で道立遠別農業高校は道北では唯一残った農業高校なのだが、それでも年々生徒が集まらず廃校の危機に瀕している。1学年22名の定員割れが2年も続くと自動的に学校は閉鎖に追い込まれてしまう。それを防ぐためになんとしても、道外からでも構わないので新入学の生徒の定員を確保したい、と校長先生は話した。校長先生は旭川の工業高校から赴任してまだ一年も経っていなかった。

ついてはまず募集するにあたって、こういう学校であるということを知ってもらうために、普通の案内書ではない個性的な絵本風なものは作れないだろうか。校長の私が企画したそんな生徒募集も兼ねた絵本が実際に作れるかどうか意見を聞かせて欲しい、というのが骨子だった。それはイラストと文章を使って、絵本仕立てで学校の年間のカリキュラムを紹介しようという企画だった。簡単なスケッチが添えられた紙が、打ち合わせテーブルの上に並べられた。私は今回の話を知人の編集長からプロの意見も聞きたかったので同席してもらっていた。校長先生の得意げで熱意のある言葉とは裏腹に、私と編集長はそれを目にしながら途方に暮れた。それは到底絵本にはほど遠い“パンフレット”だった。
 
私たちは正直に伝えた。どういじっても絵本にはなりようがなかった。しかしだからといって遠いところからわざわざ我々を頼って来た背水の陣の2人を、そのまま帰すわけにはいかなかった。なんとしても力になってあげたかった。代案を模索しながら雑談をしていると、三十代前半とおぼしき国語の先生が、こんな話をした。

うちの学校では生き物も飼っていて、その中にサフォーク種という白い体に頭と手足が黒い羊が数匹いるんです。だいぶ前の話なんですけど、ある生徒が世話をしているうちにその中の一匹に名前を付けてしまったんです。私はその話を何気なく聞いていた。名前を付けたのは可愛かったせいで当然だろうと思いながら聞いていた。普通に動物を飼っていたら名前を付けることは当然だし、何もおかしいことはありません。でも、学校で飼っている羊は他の動物もそうですけど「家畜」なんです。学校で授業の一環として家畜の世話をしているんです。だからある程度の大きさになると「出荷」しなければならないんです。それは人間の口に入る「肉」になるということです。今まで育てた動物を殺し、肉にし、それを加工するというのも授業なんです。だから屠殺は業者がやるんですが、肉になるのがわかっている家畜に名前はつけません。付けてしまうと出荷する時に辛くなるので、番号にしてるんです。

それは「命をいただく」話だった。いい話だった。もう絵本なんかを考えるよりも、今の話を元に児童文学を書けばいいと思った。隣で聞いていた編集長も同じ考えだった。私たちは今の話に学校生活や行事や授業といったものを絡ませて小説を書いたらどうだろう。絵はないけれど、その方がはるかに子どもたちの心に届くはずだと提案した。そしてこの話はあなたが書くべきだ、と正面に座る国語の先生に向かって言った。国語の先生の名前は、樋口かおりさんと言った。彼女に一冊の本を書き上げる文才があるかどうかはわからなかったが、少なくともライターが書くよりも現場や生徒のことを知っている彼女が書くべきだと思ったのだ。

著者が国語の教諭であり、自分が勤める瀕死の農業高校の生徒募集のために企画され、何度も何度も書き直して出来上がった「羊に名前をつけてしまった少年」という不思議な本の挑戦は、そうやって始まったのだった。私は25年になる装幀家生活の中で、関わった本でこれほど心に残る一冊はないだろうと思っている。読みながら私と同じ名前の主人公の少年の心の葛藤に、何度か泣かされた。本が出来上がる前に学校がテレビ取材もされた。屠場へまで出向き取材して書いた樋口先生。アイデアマンであり、樋口先生を陰で支え続けた菅原校長先生。業界の切れ者であり、素人の文章を一冊にまとめ上げるまでの努力を重ねてくれたブロンズ新社の若月編集長。そして元旭山動物園で飼育係をした経験があり、ベストセラー「あらしの夜に」にも絵を描いたあべ弘士さん、素晴らしい装画をありがとうございました。
みんなの力で出来上がったこの意義ある素晴らしい本が、日本全国の多くの人に読まれ、北海道の北の端にある遠別農業高校のことが知られ、たくさんの少年少女たちに興味を持たれることを私は切に祈っている。

「羊に名前をつけてしまった少年」
樋口かおり
ブロンズ新社
定価1470円

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